和光市新倉 新羅

2018年10月17日の読売新聞を見て びっくりしました

埼玉県和光市や 新座って

古代 新羅人が住んだところ と 書いてありました

びっくり!!!!

次女が住んでいた頃 調べたけど

調べたりなかった! 見落としていました!

てっきり 

江戸時代に幕府が新田開発した土地

古代の歴史は何もない

とばかり思いこんでいました

そうだったんだ~!!

記事によると

新倉(にいくら)という地名も

新羅(しんら にいら?)が 変化したものだとありました

うわ~~!! そうですよね! そんな感じします!!

次女が住んでいた頃 遊びにいった時

空気が乾いていて 何もない感じの土地

というのを とても強く感じました

なので 元 田んぼだった土地をアパートに変えると

あーゆー 空気感になるのかな と思っていました

違いました!

そうじゃなかった!!

あの土地全体から漂ってる乾いた感じは 韓国の雰囲気だったんだ!

韓国へ行った時 感じた空気感にそっくりです!

何もない感じというのは 異国の神様の雰囲気でしょうか よくわからん

うわ~!!

でも そうだったんだ~!!

新羅の人達が 海を越えて あそこに住んでいたんだ~!!

古墳時代後期ですよね。。

勉強になります!!

見落としていて すみませんでしたー!!

考察 巻第3ー挽歌420~425 石田王 丹生王 磯城皇子 紀皇女 その参

1月26日

 

昨年書いた記事のその後です
丹生王=紀皇女 ということで 彼女の生涯を妄想して
文を書いたのですが
あの記事をブログに書いたその晩 私は お風呂に入って 頭を洗いながら
う~む やっぱり 紀皇女のほうが先に死んでいて
石田王が 悲しくて歌を詠めないから 山前王に代わりに詠んでもらったのかな。。
と考えておりました。
でも そうすると 石田王が亡くなった時の歌が 紀皇女作ってことは
ありえないわけだし。。
うがー!と 頭を洗いながら 悶々としてたわけです
その時 頭の中に ふと きれいな女性の手の映像が
浮かんできました
いつも こうやって 突然 ふっと 浮かんでくるのです
きれいな薄物の長袖をはおったような 天女の服装の感じの
ふんわりした袖口から出た 白い美しい手です
黒い背景の中に その手は 光り輝いていました
右手かな 一つだけ。
そして 同時に
 
ありがとう。。
と 頭の中に 聞こえてきました
いや 聞こえるっていうんじゃなくて
感覚っていうか 飛んでる っていうか。。響いてるっていうか。。
降りてくるっていうか。。
きっと恐らく その手の人が 言ってるのでしょう。。
優しく温かい 響きでした。。
紀皇女さんかな~。。
と 思いました。
私の読みが当たっていたので そのお礼かな とも思いました。。
そっか。。
当たっていたんだ。。
感謝してくれてるんだ。。
生涯が謎とされている方は 多くが 後世の人から 
その生涯を酷いものとして推測されがちですが
時として 権力によって 罪もないのに足跡を消される場合も あると思うのです
まじめにきちんと生きたのに 罪をかぶせられて 生きた証を消されてしまった方
たくさんいると思います
私はどうしても 紀皇女さんが 何か不貞を働いたとは
万葉集を詠んでみても 思えませんでした。
残された歌は 確かに 激しい内容のものでしたが
あの歌は 供養が必要なほどの 感情が籠もっているということで
万葉集に遺された特別な歌だと 私は思うのです
他にたくさんの 季節の歌とか 詠まれていると思います
実際は 母方の祖父の島流しを憂いながら 一生を静かに過ごした優しい方なのでは?
と 思えてならないのです。。
もしかして 多少のサイキック能力があったために
持統天皇に警戒されたのかも知れませんね。
いつも何かを 勝手に推測した後って
こういう ことが 起こります
これで 終わったんだな~って  
もしかして 呼ばれて考察させられたのかな~とも思ったりします
うげ。。怖い。。
今 一瞬 静かに停電して また復旧しました。。
ネットの接続も切れたのに このまま 画面が出てます。。
きっと これは 単に近くを工事してるからですよね。。
あー どきどきした。。

考察 巻第3ー挽歌420~425 石田王 丹生王 磯城皇子 紀皇女 その弐

12月2日 
紀皇女(きのこうじょ)は 天武天皇の娘です。
母は 蘇我赤兄の娘 太蕤娘(おおぬのいらつめ)です
同母兄弟に 穂積皇子 田形皇女 がいます。
磯城皇子も 天武天皇の皇子です
母は 宍戸臣大麻呂(ししひとのおみおおまろ)の娘 かじ姫娘 です
同母兄弟に 忍壁皇子(おさかべのみこ) 泊瀬部皇女(はつせべのこうじょ)
託基皇女(たきのこうじょ)がいます。
天武天皇の妻は 他に 持統天皇、持統天皇の姉、天智の娘(大江皇女)、額田王、
藤原鎌足系の氷上娘(ひかみのいらつめ)五百重娘(いおえのいらつめ)
と そうそうたる人たちです。
紀皇女の母は 蘇我赤兄の娘ですが
赤兄は 壬申の乱で 敗れた大友皇子派だったため
息子とともに流刑となり 遠くの土地に流されています。
ので 紀皇女の母は 父方の後ろ盾のない姫なのです。
まあ 母方の援助を受けていたのでしょうが
はっきり言って 天武朝においては 他の妃の子どもたちと比べて
あまり重要視されない家族ではなかったのではないかと思いました。
磯城皇子のところも 他に引け目を感じていたような。。
長男の忍壁皇子 以外の皇子・皇女は
あまり重要視されてなかったのでは。。と私は勝手に思います。
それは 天武の正妻が あの 持統天皇だからです。
そして 天武天皇亡き後 実権を握ったのは 
その持統天皇と 藤原不比等です。
他の妻たちは はっきり言って 
その存在が かすんでしまっていたのではないかという気がします。。
万葉集は 特に亡くなったときの事情が多々ありそうな方の作品を載せています。
多分 この石田王も 何か事情がおありになった方なのでしょう。。
大津皇子のように 死に追いやられたのではないにしても
ちょっといわくがありそうです。
なぜかというと、丹生王の詠んでる歌が やや長いのです。。
例としては 
皇太子のまま亡くなった草壁皇子のために 
柿本人麻呂が詠んでる長文の歌があります
他には 明日香皇女、 忍壁皇子 高市皇子が亡くなったとき
柿本人麻呂が詠んだ長文があります
弓削皇子が亡くなったときの 置始東人(おきそめのあづまひと)
(高級文官らしい)
の歌で やや長い歌があります
つまり 天皇や皇子クラスの方が 
死のときに詠まれる歌を 
王クラスの石田王も 詠んでもらって、
それが どういうわけか万葉集に載ってるということです。
(普通でしたら 万葉集には載らないと思うのです)
そして それを詠んでいる謎の人 。。丹生王。。
皇族の死のときに 歌を詠む方は
きっと そういう方面に優れた方なのでしょう。
額田王や 柿本人麻呂 と並んでもいいほどの歌詠み。。
丹生王は 妻だったという説もありますが
妻というのは 普通の五・七・五・七・七を 詠むのではないかと
私は勝手に思うのですよ。。
歌 特に長い歌は 一種の祝詞ですから 
普通の人である妻には無理なのではないかと
思う次第であります。
昔は言霊といって 言葉には魂があると思われていました。
皇族の方を天に送るには やはりそれなりのサイキック能力のある方が 
弔文を詠まないと いけないと思うのです。。
で その歌ですが
ちょっと激しいのです
悔しきこと という表現が 2回も出てくるのです
普通ですと 
生前はこんなに素晴らしいお方だった
なのに天へ逝ってしまう。。 ああ どうして。。
みたいな 美辞麗句を並べた歌が多いのですが。。
この丹生王の歌は やや異質です。
まあ 妻が感情的に作った歌と言えばそれまでですが。。
でも そういう感情的な歌をどうしてまた 万葉集に
載せたかが 私には 不思議なのです
そこで 私は考えました。
この石田王=磯城皇子
   丹生王=紀皇女
では ないかと。。
万葉集得意(勝手に)の 名前すり替えです。。
石田は 磯の石。 田は 中に 土があるので 城の土
紀皇女の 丹生は。。
以前 弓削皇子の兄 長皇子が詠んだ歌に
丹生の河 瀬は・・・(2-130)
っていうのがありまして  これはどうやら
丹生川みたいに激しい流れの恋に苦しんでる弟 弓削皇子に贈った歌のようですが
(弓削皇子から 紀皇女への激しい恋の歌は 4首
万葉集に載っています)
この歌からとって
丹生=紀皇女になったのではないかと 私は勝手に思います。。
そして 万葉集の作者は 意図的に
後から出てくる 丹生女王と この丹生王を
読者が混同してくれたらいいな、と
狙ったような気がします。。
と こんなことを 考えていたら
紀皇女の生涯が 浮かんできました。
母方のおじいちゃん蘇我赤兄は 流罪で遠い島にいる。
もしかしてもう 死んでしまったかも。
お父さんと争って 敗れた大友皇子の臣 だったから
母は口には出さないけど きっと心を痛めてる
そういう中で 育ってきて
父も亡くなった
権力は 持統天皇と 藤原家に握られた。
年頃になると 弓削皇子様に思いをよせられる。
が 楽しい時もつかの間。
弓削様は 先に死んでしまう。
そして 新しい恋。 上からの命令だったけど
磯城皇子と 結婚。
磯城皇子は 自分と同じく影の薄い家の皇子だった。
長男の忍壁皇子の存在に隠れている次男。
お互いを慰めあい おだやかに日々を過ごした。
でも 楽しい時もまた終わってしまう。
磯城様も先に亡くなってしまった。
悲しみにひたっていたら さらに追い討ち。
磯城様のご遺体を 天皇の命令で高松塚に移すことになったという。
高松塚は 亡き皇太子 草壁皇子のために作っていた陵のはず
草壁皇子は 他の場所に葬られることになったという
思わず 大津皇子のことが頭に浮かんだ
持統天皇によって追い詰められ 死を賜わった大津皇子
ご遺体は 西の 遠い二上山の頂上に移された
姉の大来皇女様は 歌を詠んで嘆いてらした
伊勢斎宮をなさっていた大来様が嘆くということは
大津様はきっと 何か 恐ろしい呪詛に使われるということなのだろう
私の夫 磯城様も 
呪詛に使われてしまうに違いない
悔しきこと
持統天皇と 藤原不比等が憎い
兄 穂積が 高市様と結婚なさっていた但馬皇女と逢い
志賀の山寺に追いやられてから
私も 穂積の妹として 変な目で見られるようになってきた。
おつきあいした方 2人が先に死んだという事も関係するのだろう
好奇の目で見られるようになってしまった
うとましかった
弓削皇子様 磯城皇子様のご冥福を祈りながら
ひっそり過ごす日々だったのに
宮で すれ違っただけの まだ少年の高安王と 
あろうことか 噂がたち 責められた
わかっている 
きっと 藤原不比等の企みだ
藤原出身の娘を次の天皇の妻にしたいために
他の皇女の格を落としまくっているのだろう
お叱りを受けている最中に 密告した者が
馬に乗って えらそうに来たので 思わず
おまえのせいだろう!
心の中で叫んだ
後日 歌にしたら あっという間に
藤原家を憎むものたちの間で 密かに広まってしまったという
侍女が教えてくれた。
高安王も 遠い地へ とばされてしまったという
ほとぼりがさめれば 戻れるとは思うけど
お気の毒な事である
私の人生
きっと 後世の人からは 恋多き愚かな女性と 言われるのだろう
磯城様のご友人 山前王様 だけが真実をわかってくれるのが救いだ。
私の亡き後は 夫 磯城様に代って 歌を詠んでいただけるように
お願いした。
こんな自分だけど 磯城様から受けた たくさんの愛情を忘れないでいたい
死後も 磯城様の呪詛が解ける様 願い続け
磯城様が 目覚める時まで そばにいたいと思う

考察 巻第3ー挽歌420~425 石田王 丹生王 磯城皇子 紀皇女

11月25日

万葉集には 一体誰なのかわからない方が よく登場します。
日本書紀にもきちんと載っていない方です。
有名な 額田王(ぬかたのおおきみ)は書紀にのっています。
万葉集で彼女は明らかに歌を沢山詠んでいるので
歌人ということで通っています。
玲子さんは 彼女の事を サイキッカーと 見ています。
王 というのは 祖父母か前の先祖が皇族とか
昔からの名だたる土地の支配者の子孫とか そういう身分の方の名前です
巻第3 挽歌 に登場する 石田王と丹生王は
伝不詳 という方々です。
王 という名前と時代から
恐らく 以前の天皇の外孫に当たる方でしょうか。。
謎です。。
なぜ この2人に辿り着いたかというと
天武天皇皇女である 紀皇女を調べていたからです。
紀皇女は 亡くなった時のことが日本書紀に記載されてない皇女です。
里中満智子氏の 漫画 天上の虹 で
あまりにも有名な役どころの方です。
色っぽくて美人で 軽皇子(少年の頃の文武天皇)の年上妻になります。 
そして 弓削皇子の愛人
そして 壮絶な死。。
と かなり ハードに描かれています。。
なぜ 文武天皇の妻かというと
梅原氏が 著書の中で お書きになったことだそうです。。
読んでなくてごめんなさい。
確かに不思議なのですが 文武天皇には皇室出身の妻がいないのです
天皇になれずに若くして亡くなった草壁皇子にはきちんと
皇室出身の妻がいたのに。。
持統天皇に死においやられた 従兄弟の大津皇子も
ちゃんと 皇室出身の妻がいたのにです。。
そう この当時 天智と天武の子ども達は
沢山いて 結構その中で 結婚をしているのです。。
なのに 文武天皇には いないのです。。
日本書紀に記載されていないのです。。
臣下 藤原不比等の娘 宮子 が妻として有名ですが
(彼女は 聖武を出産後 欝?になり 引きこもりになります)
普通 いて当然の 天智か天武の血をひく皇女を妻にしていないようなのです。。
それで 亡くなった事が記載されていない紀皇女が
実は 文武の妻であったのではないか?
そして 不倫か何かがあって
または 藤原氏の陰謀があって
正妻の座を引きずり下ろされたのではないか
と  考えられたわけです。
確かに 藤原氏にしてみたら 皇族の妃は いないにこしたことがないです。
宮子に子どもが生まれて うまくその子が天皇になれば
自分が外祖父になれるわけですから。
実際 宮子は 聖武天皇を産みます。
聖武天皇も 皇族出身の妻がいません。
まあ それは 聖武の妻 光明子の立后に反対した長屋王を
藤原4兄弟が 死においやったという事も
関係してるとは思います。 
とにかくその謎の人 紀皇女ですが。。
この石田王に関しての歌は 外せない歌なのです。。
420で 石田王は すでに亡くなっています。男性らしいです。
で その死を 丹生王が嘆いて ちょっと長い歌を詠んでいます
少し後に万葉集に登場する 丹生女王と 同一人物?と 言われています。。
つまり 女性ですね。。石田王の妻?とも言われています。。
421と422は 反歌です。
423は 石田王の死を 山前王が嘆いて歌を詠んでいます
この方は 忍壁皇子の息子さんです。
この歌は もしかして柿本人麻呂 が 代わりに詠んだかもと言われてます。
424と425は反歌です。
そしてこの反歌の詞書に この歌は 紀皇女が亡くなった後、
山前王が 石田王に代わって作った と書かれています。
ですので 謎の紀皇女は 石田王の妻であったのではないかといわれています。
さらに 紀皇女の謎を深める歌の一つに
巻12-3098 の歌があります。
高安王と会ったのがばれて 責められているときの歌で
おまえ(多分 家来?)のせいで怒られているのに 馬に乗って偉そうに登場するな
というような すごい激しい歌なのです。
(高安王とは かなり年下になるそうなので これは紀皇女ではなく
託基たきの皇女の間違いか、とも言われています)
そして 弓削皇子の 紀皇女を思って作った歌4首があり
紀皇女の 誰かを思って作った歌が一首 あります
かなり想像をかきたてられる生涯なのです。
そして 磯城皇子(しきのみこ)ですが
この方も 亡くなった年が日本書紀に記載されていません
玲子さんは 高松塚古墳を霊視したとき
1人の壮年の男性と もう1人妻か家族か若い身分の高そうな女性と
しき の言葉が浮かぶとおっしゃっていたので
むむむ。。と 私は一気に 魂を刺激されてしまいました!
しかも 高松塚は 呪詛のために持統天皇が作った古墳ということで
きっと被葬者は 磯城皇子だ~と 私は勝手に決めてみました
もう1人 天智天皇の息子で 志貴皇子(しきのみこ)がいますが 
この方は 持統天皇の死後に亡くなっているので 違いますね。
万葉集に登場する 謎の王 石田王と 丹生王
日本書紀に 亡くなった年が書かれていない 磯城皇子と 紀皇女。。
私は 4者の関係を 勝手に妄想してしまいました。。
持統天皇が怖いですが。。
次回 また 考察してみたいと思います

万葉集 1-28 雑歌

11月11日
  天皇御製歌
 
春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
  天皇(女帝 持統天皇)の御製歌(おほみうた)
春過ぎて 夏来(きた)るらし 白栲(しろたへ)の 衣乾(ほ)したり 天(あま)の香具山(かぐやま)
中西進先生訳
春も終わり夏がやってきたらしい。純白の衣を乾している。天の香具山よ。
ゲゲ訳
東を通る龍道の力は終わりです。
今度 龍道は南を通って私の直系のみ繁栄するのです。
天の香具山にかけられている呪詛はなくなりました。
喪服をかぶって 休んでいなさい。
この歌は 必ず教科書にも 載っている ちょー有名な持統天皇の歌です。
わかりやすく 現代にも通じるものがあるので
よく暗記させられる歌 ナンバー1でもあるでしょう。
私も暗記しました 懐かしい歌です。
いつもでしたら 万葉集は じっくり漢字を調べていくのですが
どうも。。持統天皇の歌は。。
それが通用しないというか。。
呪詛っぽいのですよね。。(~_~;)
直感勝負で解きました。。
まず この美しい景色を歌った歌ですが
よくよく考えてみると ものすごい不思議な歌なのです。
今では 当たり前そうな景色ですが
当時の時代で考えると とんでもないらしいのです。
さすが持統天皇のおつくりになった歌。。。怖いデス。
○天之香具山ですが この山は藤原京の 東にそびえる聖山です。
アマテラスからの直系の山です。
天之香久山命 は 天孫降臨のニニギのミコの子ども説、兄説もあります。 
新春に登って 天皇が国見をする儀式も古代にはあったようです。
で、その山に 白い衣が乾してあると この歌は歌っていますが
実は 古代は 山というのは 聖なる禁足地で
誰も足を踏み入れてはいけないのだそうです。
特にこの香具山は 霊山です。
だから そこに 衣が乾してあるなんていうのは
とんでもない ありえない景色なのだそうです。
○その 白い衣 白妙の衣ですが
喪服だそうです
つまり この歌の最後の部分は
聖なる霊山に 喪服が乾してあるよ、と歌った ちょっと怖い情景なのです。
勿論 実際には乾せませんから 想像というか 呪詛でしょう。。
○龍道ですが
これは霊能者玲子さんと 闇検のスタッフが名づけた名前みたいで
古代の権力者が 自分らの子孫が栄えるために
いろいろ パワーのある土地に古墳を配置したり 
呪詛を行ったりして 作った視えない道です。
この道の力を利用して 自分たちが子々孫々栄えるようにと
願いをこめたのです。
○春過ぎて夏来るらし
春は 旧暦1、2、3月 今の2、3、4月ごろです。
方位は東、色は青、
五行では木 乾(コン)、陽(太陽や天)をあらわします。
夏は 旧暦4、5、6月です。今の5、6、7月頃です。
方位は南、色は赤
五行では火 離(イ) をあらわします。
春が過ぎて夏がやってきたらしい、というのは
春の時代が終わって、夏の時代がきた
東を通っていた道は終わったのよ。これからは 南を通る道よ。
ということかな~と思った次第です。
○藤原京
持統3年(689) 持統の息子 草壁皇子 皇太子のまま亡くなります。 
持統8年(694) 藤原京に遷都します。
文武1年(697) 草壁の子 軽皇子 皇太子となり 即位します(文武天皇)
この歌は 万葉集の順番でいくと 軽皇子が即位する寸前に
持統が天皇の時代に つくった歌のようです。
龍道と 新帝即位前。。
即位前 無念にも亡くなった息子 草壁のことを思い
自分の直系が 未来永劫 王座の地位にあるためには
新しい より強固な呪詛をかけて 龍道を作らないといけない!
と持統は思ったに違いありません。。
呪詛は その道のエキスパート 中臣不比等 にまかせたと推側しました
で 不比等ですが 新しい京と 同じ名字を頂きます(藤原不比等)
私が思うに、藤原京と同じ名字を与えるから
この京を あなたの一族の力で守りきってちょうだいよ!と
いうことだったのではないでしょうか~。
つまりは 今までの蘇我がかけた呪詛は もう終わり。
(蘇我は かなりの呪力を持つ一族だったらしいです。。
だから あれだけの権力を得たようです。)
次は 藤原のかける呪詛で 私の新しい直系の者の時代よー
天の香具山は 喪服を着て 休んでいなさい
というニュアンスだと思います。
玲子さんの霊視によると 蘇我のかけた龍道と 藤原のかけた龍道があるようです。
藤原の龍道は 淡山神社 高松塚古墳 や 大津皇子の眠るに二上山 にかかっているようです。
そして 蘇我馬子の墓(石舞台古墳)をあばいたのも
どうやら 藤原系 らしいです。。
墓を暴くことによって そこの力をなくそうとする目的らしいです。
話が古代の呪詛合戦に及びました。
そして とどめは 言霊の力。歌を詠むことです。
そして この歌が詠まれてスイッチが入り 今までの蘇我の龍道が違う方向へと
新しい藤原の龍道へ 移動したのではないでしょうか。。
この歌が 皆に口伝で愛されて 口承されていけばいくほど
藤原のかけた龍道の呪詛が 益々力を得ていったのだと思うと。。
ほんと おそろしいです。。
でも 結局 孝謙天皇の時 この持統の直系は終わりになり
また 系統は 天智系に戻ります。。
天武の系列は終わったのです。。
(持統も 父が天智なので 天智系なのですが。。
女性があとを継ぐっていうのは 直系とはいわないのかな。。)
なんででしょう。。
呪詛の力が終わったのでしょうかね。。
また 調べてみる価値があるようです。
参考文献 
左 ブックリスト 一連の本
古代史の秘密を握る人たち 関 裕二 PHP文庫 2001年6月15日第一版第一刷
血塗られた飛鳥時代の謎 神 一行(編) KKベストセラーズ 1991年1月10日 初版

葬式まんじゅう

10月22日

義母との会話で 温泉まんじゅうの話がでました。
私が 好きなおまんじゅうで
1位 温泉まんじゅう
2位 葬式まんじゅう
と発表したら 義母が
葬式?まんじゅう?
葬式に おまんじゅうを出すの?
と聞いてきました。
よく聞いたら 新潟には 
葬式におまんじゅうを出す習慣はないそうです
72歳の義母が言うから もうずーっと
その習慣はないのですね。。
え~~~!?って びっくりしました。
私がいつも食べてた あの白くて茶色い字?模様?入りの
おまんじゅうって 全国区 ではないんだ~と
目からうろこでした。。
霊能者の 故 宜保さんも著書の中で
子どもの頃 葬式饅頭をもらえるのが嬉しかった
ってあったから 彼女は神奈川でしたか?
そちらの地域は 昔からあったってことですよね。。
私の父の実家のところ 本庄もあったし
母の実家 児玉もあったし。。
甘いものが大好きな私は
外が白くて 中は アンコたっぷりの
やや大きめの
葬式まんじゅうが大好きでした。。
あれ。。そういえば 栃木も
葬式饅頭 頂いたことがにゃい。。
私が小さい頃のお葬式って 亡くなるのは年寄りだけなので
あまり 悲しくもなく。。
おまんじゅうが出るから
子供心に ちょっと嬉しかったです。。
葬式と その後のふるまいが終わって
は~ やれやれ。。無事に送れた。。
って みんなでおまんじゅうを食べてお茶を飲み
疲れをいたわったものでした
私等 37年生まれは 土饅頭のお墓を見た最後の世代かな。。
いや 39年生まれの弟も 見た気がするけど。。記憶にないか。。
でも 最近は 本庄のほうも
葬式饅頭 一箱 どーんとは 出ないようになった気がします。。
せいぜい 一つ一つを 親しい人に配る程度かな。。

10月6日
読売新聞に連載中の小説
美女いくさ 諸田 玲子氏
読んでいて なるほどな~って思います
秀吉の時代 小督(おごう)が主人公です
信長の妹 お市の方の娘 三姉妹 茶々の妹です。
秀吉は 案外おおらかで優しい人だったみたいに
思われていて
茶々の子ども 秀吉の晩年に生まれた息子は
実は 茶々と 不倫相手の石田三成の子ではないか?
なんて 噂があります。。
でも この小説を読んで 
うーん それはありえないな~って
私も 思いなおしました。。
秀吉は 朝鮮へ出兵もしましたし
自分の子を世継ぎにしたくて 
今まで関白職にあった甥を 
妻や子らと全員処刑した残虐な面もある人です。。
嫁に行ったばかりの 伊達政宗の従妹も
刑場の露と消えたのは 有名な話です。。
もし 茶々と三成の事が 少しでも怪しいなんて
知ったなら たちまち2人を 斬ってしまうのは
目に見えてます。
秀吉は 茶々に夢中だったという説も
ありますが
茶々も 別に貴族の娘っていうわけでもないし
単に 信長の妹の娘 というだけです。
何か 不手際があれば それはもう
秀吉の一言で どうにでもなるような存在だったでしょう。。 
多分 茶々のほうが必死に 秀吉に
すがりついていたのではないでしょうかね
そうやって生き延びたのが
戦国時代の女性だと思います。。
豊臣政権も 晩年に実子が生まれたのが
悲劇の始まりだった気がしてなりません。。
無用な殺生をすると
祟りが怖いですよね。。
玲子さんのつぶやきによると
織田が滅びたのも
家康の正室と嫡男を殺させたからとか。。
なら 豊臣が滅びたのも
やはり 罪もない人を殺したからですね。。
茶々(淀殿)も必死に 豊臣家を守ろうとしましたが
家康と あとは視えない怨霊に負けてしまったのですね。。

驚き

10月1日
大河を見て 長野 善光寺に
謙信と信玄の 位牌が 並んで祀られてると知って
びっくりしました。
そういえば 去年そんな夢を見て
私 分析してたっけー
と 思わず興奮してしまいました。
9月に 夢を分析してました。
ガックンが夢にでてきて
信玄が建てた寺がどうとか出てきたんですよね。
私は 当時 ガクトさんが謙信をやるって知っていたので
あれは やはり 謙信と信玄の関係を示唆していたのかあ~。
善光寺へ行きなさいということなのでしょうか~。
もともと興味はありました。
1度善光寺へお参りに行きましたが
お参りしてそばを食べてジュースを飲んで 
終わってしまいました。。
父の実家の近くの諏訪神社の謎もわかるのかも。。
今晩見る夢が ヒントか~。
最近 日光東照宮へ行きたいな~とも思っていたし。。
今の私が 去年のこの夢を気にした、という時期も
絶対何か 関係あるはずです~。
寝ている間に見た夢って
しばらく後になってから
現実的に何かが起こって はたっと内容が一致することがあります
実はこのことを 夢は教えていてくれたんだー!
って いうのが たまーにあるのです!!
だから 夢は面白いです~。
地震お見舞い申し上げます。
沢○○りかさん どうしたんだろう。。
ものすっごく 感じ悪いわ~。あれはマイナスだわね~。(おばさん風)

謙信さんのいた頃

9月19日
NHKの大河ドラマを見てると あの頃の土地を巡る相関図が
とてもよくわかります。
なるほどにゃ~と 敵・味方の関係が
すんなり わかります~。
やはり 人間が演じて下さると 生き生きしてくるので
歴史の流れがよく理解できて 助かります。
上州は ほんとに 沢山の武将が
土地を巡る争いをして
ほんとに人間関係が複雑ですね。
関東管領の上杉家、武田、北条と
色んな人たちが 群馬の土地が欲しくて
あちこちから 手を出してきます。
以前は群馬をドライブして いろんな城跡を見てきました。
ここで いろんなドラマがあったんだ~と
とても感慨深いです。。
長野もすごかったですね。
武田、今川、小笠原、村上、北条、
きっと 場所的に
押えておかなければいけないところだったのでしょうね。
そこで 私が思うのが 私の本庄の渡邉家のご先祖様は
その時 どうしていたのだろう~と いうコトです。
本庄は武州で 上州と小田原の間にある感じの土地です。
最終的には北条側に ついたみたいですね。
後に 埼玉の城はことごとく 秀吉に滅ぼされてます。 
児玉党 という 平安時代からの 勇猛な軍団があって
一目おかれていました。
武蔵7党と して 有名な7氏のうちの 一つです。
本庄は 本庄氏という 児玉党からの分かれた一族みたいです。
ガクト謙信さんの 優秀な御家来衆に 本庄氏が 居ますが
もともとは やはり 埼玉の本庄氏の出身みたいです。
悲しいかな。。
越後の分家のほうが 有名になっちゃいました。。^_^;
上杉家と トラブった 本庄の騒動がありました。
いかっこ(五十子騒動)1477年
うちの実家は その場所のすぐ近くです。
うちのご先祖様は 上州の新田の家来ですから
本庄氏とはつながりはありませんが
本庄城の目と鼻の先に 住んでいたので
まあ 仲間っていうか 少なくても敵ではなかったと思いますが
実際はどうなんでしょう。。。
新田義貞公 亡き後は 新田一族は
上杉、武田、北条 と対立してたそうです。
では うちのご先祖様も ガックンたちを相手に
戦っていたのでしょうか。。
なんか 悲しい。。
現在発展している分家(私の実家の分家)は
戦国時代に分かれたそうなので、きっとこの頃ですね。
渡邉は 勇猛な武家の名字。
きっと 戦いに明け暮れていたのかもと想像すると
大変だったろうな~と考え込んでしまいます。。
私が 群馬や埼玉北部の人たちの気質を見て思う事があります。。
あくまでも 私個人の感想ですが。。
誰が上でも 関係ない。
自分達が強くて楽しければそれでいい。
と言った 気の強さがあるような気がします。。
確かに 歴史的に見ても
常にあちこちの武将からねらわれてる土地でした。
自分達のお殿様が 新興の武家に簡単に殺られるなんて事は
よくあったでしょう。
そんな土地柄からか 多分
 
自分達がしっかりして 上には 期待をしない。
って いう感じになったんじゃないのかな~と思います。
大河ドラマは 最近人間関係が複雑になってきたので
次女などは ちょっと ついていくのが大変そうです。
でも 私は どろどろな人間模様が 大好きなので
わくわくして 見てます。
でも 一番の目的はガックンの麗しい姿です!
この間は 信玄のお母様がお亡くなりになりました。。
また1人 第1回から出演の方が世を去りました。。"^_^"

万葉集 巻二ー156、157、158

9月16日
 十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首
三諸之 神之神須疑 己目耳矣 得見乍共    不寝夜叙多
              己具耳矣 自得見藍乍共  
神山之 山邊真蘇木綿 短木綿 如此耳故二 長等思伎
山振之 立儀足 山清水 酌二雖行 道之白鳴
〔紀曰、七年戊寅夏四月丁亥朔発巳、十市皇女卒然病發薨於宮中
十市皇女(とをちのひめみこ)の薨(かむあが)りましし時に、高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の作りませる御歌三首
156 三諸の 神の神杉 夢のみに 見えつつ共に 寝(い)ねぬ夜ぞ多き 
157 神山の 山辺真麻木綿 短木綿 かくのみ故に 長くと思いき
    
158 山振の 立ち儀ひたる 山清水 酌みに行かめど 道の知らなく
〔紀に曰はく「七年戊寅(ぼいん)の夏四月丁亥(ていがい)の朔(つきたち)の癸巳(さし)、十市皇女卒然(にはか)に病発(おこ)りて宮の中に薧(かむあが)りましき」といへり〕
      
中西 進先生訳
156 三輪山の神々しい神杉のようなあなた。夢ばかりに見えながら共寝せぬ夜の長かったことよ。
157 三輪山の山辺にまつる麻幣(しで)、その短い幣のようだった逢瀬。そうだったばかりに末永くと思ったことだ。
158 山吹の花が美しく飾っている山の泉を酌みに行って蘇えらせたいと思うのだが、道を知らぬことよ。
〔日本書記にいうことには「天武七年四月七日に十市皇女は突然発病して宮中で没した」という〕
いつも通りのゲゲ訳は 途中です。
天からまだ ヒントが降りてきません"^_^"
「万葉言霊歌解析」(四季が岳太郎氏) を参考にして 隠された言葉探しをしてみました。
実       実     杉      実   三重        稲      大木
みもろの かみのかむすぎ いめのみに みえつつともに いねぬよぞおおき
(三輪山) 神  神   夢     見    共   往  世  生 来 
   山   山 木  踏み 鹿 木   実 幹        木
かむやまの やまへまそゆふ みじかゆふ かくのみからに ながくとおもひき
    魔  魔  魔     死      身 殻    苦  喪
 山吹     装ひ   山  水      亀       鳴く
やまぶきの たちよそひたる やましみず くみにいかめど みちのしらなく
         千代 添ひ     死不見      目  身   死 無
悲しみの言葉探し
神様にお願いして いっしょに暮らせる日を夢見た。
あなたが死んで 私は 苦しい。からっぽだ。
これからもずっとそばにいる。死なんて関係無い。
もうひとつの言葉探し
十市皇女と 高市皇子が 山で遊んだ思い出でしょうか。
巻1-32の歌の作者 吹芡刀自 が十市皇女ではないかと以前推測しました。
芡は睡蓮だそうです。山振はもしかしたら 山吹ではなく 山の沼に咲いてた睡蓮という意味かも知れません。
最初の歌で、み が 三重 とあります。
真ん中の歌の かむやまを かみやまと 読むと
どの歌にも み が 三 あることになります。
妻でもない女性に対して 3つの死を悲しむ歌。
高市皇子と十市皇女はひそかに愛し合ってたいたといわれる所以です。
でも 結婚は許されなかったようです。
十市は大友皇子に嫁ぎましたが 壬申の乱で大友は死に、
十市は 父 大海人のもとに戻り、肩身の狭い思いで生きます。
伊勢神宮に入る事を 父から言われました。が 突然亡くなります。
十市は自殺と言われています。伊勢神宮に入る前の潔斎所でらしいです。
愛する人が突然、死を選んだという 高市の無念の気持ちが
絶対この三首にこめられてると 勝手に決めて 
今 ゲゲ訳を行っています。
沓冠読みで 三首を見ると
こうなりました。
みの かぎ いに みに いき  身、退、限いに 身、逃、逝き
かの やふ みふ かに なき  科、退、止、踏み、伏、科、逃、亡き
やの たる やず くど みく    止、退、足る、止、直ぐと 身 来
十市が死んだ。逝ってしまった。
十市は死につかまってしまった。何の罪から逃れようとしたのか。
まだ退かないで。直ぐこちらに来ておくれ。
2018年10月
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