幼い頃 恐怖だったモノ

3月18日
昭和40年代の記憶が生々しい 昭和37年生まれのゲゲです
それらの記憶の中に とても恐怖だったモノがあります。。
ぼぼぼぼぼ です。。。
それはある日突然 道の彼方から来るんです。。
にこにこした大人たちと一緒に。。。
その時は スコスコスココンと 弱々しい音をたてながら くるのですが。。
うぎゃー!
あれは トラウマだー!!
まず 朝から 母が 
今日は 消毒の日だからね~
と 私達子どもに言います
だから きれいにお部屋片付けなさい
まあ そんなに富裕層ではなかったので 部屋は物が少なくてきれいでしたが。。
とりあえず 机の上とか きれいに片付けたものです
で 母に
来るカラ!!時間だから 外に出なさい!
と 緊張した様子で言われます
そして 母は 戸締りをして 開いてる窓とか 全部しめます
トイレのドアとか 襖とかは 開けっ放しにします
用意が済むと 母も外にでてきます
他の家の近所の御宅のおじさん おばさん 子ども達も
外に出てきます
そして スコスコスコの音がして。。
道の端から 大砲のような形のあいつが 
大人たちに引かれて?押されて やってきます
白くて 筒があって ほんとに大砲のようでしたね
戊辰戦争で使ったような。。
知らないおじさんも います
その大砲の業者さんでしょうか。。
次はどこんちだー
渡辺さんちだよー
母が ここからお願いします
と言うと 知らないおじさんが 大砲の筒を 
少し開けた6帖の掃き出し窓から入れます
そして スイッチを入れると。。。
ぼぼぼぼぼぼb-っ
と すごい音と共に 白い煙が
ぶわーーーっと 部屋中に入っていきます
部屋の中がたちまち 真っ白になって
家の中は 煙だらけ
家具も何もかも 見えなくなります
うわー
怖いよーー!!
私の心の叫びです。。
誰もいない 無人の家の中を たちまち埋め尽くす
恐怖の煙。。毒ガス。。。
う。。。
あれを浴びたら きっと 死んでしまうんだ。。。
顔面蒼白になって 私は 窓の外から
煙に侵されていく 室内を 息を呑んで見つめていました。。
弟や 近所の男の子たちは
うひょ~ すげー~
と 大喜びでしたが。。。
そして 家中が真っ白になると
ぼぼぼぼbの 機械は
スコスコスコスコ という 音に変わり
今度は違う家を目指して また 去っていくのです。。。
毎回 毎回 私は 恐怖を味わいました
ほんとに 怖かったです。。
あれが来るからっていう 片付けとか
母が窓を全部閉めるのとか
あれが 道の向こうに見えた瞬間とか
家の中に 白い煙が入って うようよ 広がっていく様子とか。。
自分の家の中が 真っ白になってしまう恐怖とか。。
ほんとに 怖い。。。
こっちの義父に聞いたら
あ~ 消毒だね。。
回覧板でこの日ですよ~ 申し込む人ーって 地域で 一括して頼んで
その日に 近所中の家 やってたんだろ~
と 教えてくれました。。
そうだったんだ。。。
昔は 汲み取りトイレでしたからね~。。
子どもが小さい頃 1度 バルサンを やりましたが
あれも 怖くて それ以来 二度とやってません
家の中に 白い煙がたちこめて 家具が見えなくなるっていうのが
ものすごい 恐怖なんです。。
その間 家の外に出ていないとだめって いうのも ほんとに怖くて。。
前世 ガスかなんかで 死んだのでしょうか 私。。
あの音も怖かった~。。。

わきや

9月27日
テレビで プロ野球が白熱してます。
私は見てませんが(熱中すると 何も手につかなくなるので)
夫が横で見てます。
そこで
 
わきや
という名字の選手がいることに気付きました。
夫に聞いたら 巨人軍の脇谷選手だそうです。
けっこう 活躍なさっているようですね。
わきや
といえば すぐ頭に浮かぶのが
新田義貞公の弟 脇屋義助(わきや よしすけ)
兄を助けて戦い 
兄の死後も戦い続けて
故郷の群馬から遠く離れた 伊予(愛媛県)で病没した武将です。
嘉元3年(1305年)-康永元年/興国3年5月11日(1342年6月25日)
30代の若さでお亡くなりになったのですね。意外~。
なんというか 
この
わきや
っていう人の名字は 私にとっての
キーワードでして。。
すごくひっかかるんです。。
わきや
って聞くと すぐさま
父の生まれた家と 先祖代々のお墓が
頭にパッと 浮かんでくるのです。
しかも 私の父や父の兄(実家の跡取り)は
ぎすけ ぎすけ
と 脇屋義助の事を言ってるんですよね。
私もてっきりそうだと ずーーっと信じていて
今 ネットで検索してびっくりしている次第です。。
そうですよね。。
お兄さんが よしさだ 
なのですから 弟も よしすけ ですよね、当然。。。
なんというか 
渡邉家のご先祖様の
時を越えた熱い思いがよみがえる~。。
脇屋という領地をもらったので(群馬県)
義助は名字を変えたそうです。
義助の死後、脇屋という名字は 
いつしか文献からは消えたようですが
もしかして 実際はひっそり子孫に引き継がれていって
西国では 今も残っていらっしゃるかも知れませんよね。。
ご先祖様の はらせなかった無念。。
天皇をお助けして 天下をとるという望み。
義助の兄の新田家は 
もともと同族の足利家(足利尊氏)に 
負けちゃったんですよね。。
最初は勝っていたのに。。
脇屋と 脇谷
漢字は違いますが
おなじ 発音ですね。
巨人軍の脇谷さん
ぜひ 野球で天下を取ってください。
そういえば 野球も 平和な時代ならではの
合戦ですよね、
ある意味、戦争ですね。。。

ぽつりと思い出し

9月17日
交通事故で 若い子が4人亡くなったというニュースを長女から聞いて
は~、と 
自分の昔の事を思い出しました。
当時就職して1年目。
夫は 同期入社の人間で 近くの大学出身でした。
で 冬だったかな。。
夫の出身大学に在学中の 同じ寮の後輩が
交通事故で 本庄市で亡くなったのです
もう23年になるんだ~。。
とてもかわいそうでした。
確か まだ大学3年か4年だったかな。
Z に乗ってました。
濃い紫色だったので 近所でも有名だったです。
私が 何か職場の飲み会で飲んでいたら
私の先輩だけど 3つ下のちょっとやんちゃ系社員が
さっきさ 本庄で 紫のゼット 事故起こして
運転してた子 死んじゃったって。
紫のゼット 見たことある?大学生なんだよね。
と 教えてくれました。
まじですか?
その子って ○○(うちのだんな)の大学の仲良しの後輩ですよ!
えー、ほんと?
と みんなでびっくりしました。
その飲み会には うちのだんなは出席してなかったでした。
当時 まだつきあってなかった気がする~。
大学を出て入社してすぐは 社員は
研修のため 3カ月間 
1カ月周期で 食品や、衣料ショップなどを転々とします。
私とだんなは たまたま 最初の1カ月は
婦人衣料部門に 配属になりました。
で ある日 
ご婦人が多いお店なのに
5,6人の 若い大学生みたいなおにいちゃんたちが がやがやと来たのです。
なんか にこにこして からかう感じだったので
夫の後輩かと思ったら 見事にそうでした。
冷やかし半分で 夫の仕事を見にきたのでした。
どの子も 可愛いイケメン君ばかりで。。
ひときわ目をひいたのが
一番背が高くひょろっとした 可愛い顔をした男の子でした。
だんなを見て すっごく嬉しそうに
にこって笑ってたのが 印象的でした。
だんな(当時は赤の他人。今もだけど)は
あいつ ゼットに乗ってるんだー。
と教えてくれました。
意外でした。。軽い不思議感を覚えました。
当時 ゼットに乗ってる男の子といえば
ちょっと お金持ちのおぼっちゃん気で
なおかつ遊び人風。女の子には目がない、
いかにも派手なゼットにぴったりーみたいな
明るい感じの子が多かったのです。。
だけど その子は
なんというか ひょう~っとした
大人しそうな、あまり車に興味があるようでもなし、
かといって 女の子にも興味がなさそうな
まあ 早く言えば おだやかで
あまり まわりに関心がないような
ぼーっとした感じだったのですね。
だんなが言うには
車に乗ると 人が変わる
とかで。。
へー。あんなに大人しそうなのに。。
と 私は その時のその子のことは
今でも はっきり覚えています。
なんだか 人って あっけなく亡くなってしまうんだなーって
思いました。
茨城の男の子だったので
飛んできたご両親が とても気の毒だったと
だんなが お通夜に行った後 言ってました。
本庄駅に 友達を迎えに行って
自分の寮に帰る途中 ちょっとした曲がり角で
角のブロック塀に つっこんでしまったらしかったでした。
シートベルトをしてたら 助かったかも知れません。
ぶつかったショックで 車の外に投げ出されて
変なところに突っ込んではさまれてしまったようです。。
レスキューを呼ぶとかの大騒ぎになったみたいです。。
スピードの出しすぎなのかな。。
でも スピードを出すようなタイプには
全然見えませんでした。。
あと5分で家に着いたのにね。。
夫は冷たいんだか、つらいから忘れたいんだか、
1度もお墓参りに行ってません。
結婚した頃 
お墓参りに行こうよ~
と 何度も誘いましたが とうとう行きませんでした。
なんつーか、お墓参りって 面倒くさいとか
わざわざ行かなくても。。心の中でたまに思い出せばいいじゃん
っていう気持ちらしいです。。
でも 当時の仲間からも忘れられたとしたら
とてもお気の毒な気がします。
思い出したのを幸い、
茨城在住の 夫の大学の友達(妻同士が年賀状をやりとりしている現在)に聞いて
いつか お墓参りに行きたいと思いました。
というか 私は 本庄に帰省して 事故現場を車で通るたびに
あ。。
ここだよ。
あの子の事故ったところ。。
と いつも不思議と思い出してしまうのです。。
忘れていても絶対 思い出されるっていうか。。
宇都宮にいると 忘れているのですが、
本庄に帰って事故現場を通ると 必ず思い出します。。
だから すっごく気になるのです。。
今年か来年は 行動を起こそうっと。。

そろそろ梅雨明け?

7月24日
この時期 いつも私の車の車検で こどもが小さい頃は
実家に帰って 車検を受けてました
私は 熊谷ナンバーの車をお嫁に持っていったのです
埼玉県本庄市は 熊谷ナンバーなのです
気分的には 近いので
群馬ナンバーでも良いような気もします。。。"^_^"
で 私は 見事に勘違いしてまして
その土地で車検を受けないと
ナンバーが変わってしまうと思っていたのでした。。
熊谷・・・大抵は 天気予報で 暑いところとして知られています
友人の熊谷市民は 最高気温を売りにして。。とちょっと冷ややかに 
行政の暑い土地自慢を 冷めた目でみてます。。。
で 熊谷ですが
私が 宇都宮で 熊谷ナンバーで走ってた頃は
ご存知の方はご存知ですが
勘違いされる方もたまにいらっしゃいました
熊谷~ あー 九州ね~
遠いとこから お嫁にきたね~
。。。。
こんな具合です。。
(多分 熊本と 混同。。。??)
まあそれも面白くて 熊谷ナンバーに愛着があって
ずっと 16年間 熊谷ナンバーにしてました
私の母が亡くなって ちょっと大勢乗れる車を買おうと思いました
キューブで 7人乗れる×3 を選びました
で 宇都宮ナンバーも できたので
(それ以前は 栃木は 栃木ナンバーしかなかったです)
宇都宮ナンバーに変えました。。
買ったディーラーさんで 手続きをしてくださって
多分 2000円か3000円だったと思います
変えたら 埼玉県から 車の税金が戻ってきました
にゃるほど~。税金と関係してるのですね~。
そういえば 私は 旧姓のまま
ずっと 実家の母に 車の税金払っておいてね~
と手続きを頼んでいたのでした。。
ほんと 何も知らないって恐ろしい~と思いました。。
で、そんなこんなで 本庄に里帰りをしていると
梅雨だったのが いつもいきなりの猛暑になるのです!
おー!なんだこの暑さはー!
子どもの顔が 真っ赤だー!
カキ氷ー!プールー!
梅雨が明けたー!
そして 
25日は 母の誕生日だし。。
なんか この7月の25日前後は とても強烈な記憶として
心に残ってます。。
 
本庄は さすが熊谷の近くで 暑いのなんのです~。
栃木は ほんとに涼しいなーっていつも思います
冬でも 本庄の父は 寒いナーといってるのに
里帰りしてる 私と娘等は
えー!
暑いよー!汗が出てきちゃったー!
とこんな感じです。。。
住んでる人にはわからないのですなあ~。。
宇都宮は 今朝は なんかこう
ぱあーっと 晴れ渡っています!
空の青さが違います~。日差しが眩しいです!
いよいよかなー。。
梅雨明け。。 

君が代

4月11日
個人的に 君が代♪ は大好きです
小さい頃から なぜか 魅かれてました
中学校のPTAの役員をしてる関係上、
この時期は 中学校の式 小学校の式に
来賓として 出席させていただいております
今日は 小学校の入学式に出席参列させていただきました
可愛い 新一年生たちを見てると
とても微笑ましくて 心がなごみます
いつも 思うのですが
来賓で 来られてる 地域の 役員の方々
男性が多いのですが
君が代 を 心をこめて いつも
お歌いになられるのです。。
お年でいえば 70代後半 でしょうか。
皆様 一語一語 力強く はっきり そして熱く
高らかに お歌いになられるのです
うちの父達より 少し上の 皆様。
戦争中の事が 少し偲ばれます。。
きっと 尋常小学校で
君が代 の 合唱指導を 厳しく受けたのでしょうね。。
歌声を聴いていると 皆様の 大変だった子ども時代の事が
しみじみ 思われてなりません。
私は小学校一年生の時 H先生という 50代後半の女性の先生に
教えていただきました。
とても しっかり しつけをなさる先生で
はい!手は後ろ!
と言う号令が かかると 私達は
椅子の背中に両手を回して
びしっと 背中をまっすぐにして 前にいる先生を
見つめました。
多分 今思えば。。
先生がそういう教育を受けてこられたんですな~。
私が 小一 といえば 昭和44年。
こどもに ママ 尋常小学校だったんだよね。
と言われたので 思わず 頭をぶってしまいました(DV反対)
普通に 今と同じ小学校教育で 6・3・3・4制でした。。。。
H先生、昭和44年に 50代ってことは 大正生まれだったんだ。。
で、きっと 戦前 小学生に 教育をしてたかもしれないのかな~?
戦前と戦後の教育って GHQの影響で 大きく変わりましたから
きっと 今思えば H先生も 指導の転換を迫られて
大変な思いをなさったんだろうな~。
愛国心のために やりの訓練を教えていたのに
人を殺してはなりません という教えに変わったんですものね
私は 多分 その先生に
びしっとした 態度 とか 君が代 とか
昔のこととか 習って すりこまれていった気がするのです~。
家庭訪問で 母が 先生にお茶をだしたのですが
昔かたぎの先生は 他にもお茶を出した保護者に対して
お礼、と称して 当時の流行の先端 高くてめずらしかった
ビニールフィルムをばりばりと剥がして写真を固定する 写真アルバムを
プレゼントしてくれたのです
一年の私が がんばって重いのを、
学校から持ち帰ってきたわけですが
母も びっくりしてましたね
まさか お茶一杯で こんなすてきな分厚いアルバムを
下さるなんて!と 大感激してました。
先生 昔かたぎで 義にあついっていうのか
人から受けた好意にはきちんと礼を!
っていう方だったんですよね~。
大体 なんでこんな 小学校一年の時のことを よく覚えているかが
また 不思議で。。
よっぽど、H先生の存在が 大きかったからだと思います
先生は一年のうち のどを痛めて 一ヶ月ほど入院されました
で、私等 クラスの児童は 他の教室に机と椅子を持って
引越して行って そこで授業を習ったのです
多分 児童数が急激に伸びていた頃なので
教員が不足していたのでしょう。
一年4組から 私は 一組 へ 引越しました
ただでさえ 一クラス 45人のところに プラス 7、8人が
入っていったわけです
もう 教室が 狭くて 先生の声も聞こえず、
あの時は ちょっと 勉強がよくわからなくなって困りました。。
H先生が戻って また 4組で 授業が始まったときは
ほんとに嬉しかったのを覚えてます
先生が
ゲゲちゃんが いつも 大きな声でおしゃべりしてたから
先生は 注意するのに 大声出しすぎて のど痛めたのよ。
なんて 笑ってました。(半分怒ってたかも。。)
それは 事実かもです~ えへへへ。。
私は 元気一杯の 空気が読めない少女でしたから~。
図書館で 本を読みなさい と
教えてくれたのも 先生でした。
クラスのみんなで 競って 本を借りて読んだものです。
あの時 隣り席の男の子が
あーん!ゲゲちゃん 待って~。置いていかないで~。
僕も図書館に行くよ~。
と とても 甘えん坊で真面目だったのに
中学に 入ったら 立派な非行少年に なってしまいました。。
にゃははは!
その話したら 非行仲間が 本当?と 
びっくりしてましたね~。
むふ。私だけが知ってるのさ~。
母も 最初の子どもである私の担任が
自分より年上の先生だったので
何かと安心してたようです。
後に 何年も H先生のことを 知っていて
よく 今は 何をなさっているんだってよ
と 私に教えてくれました。
残念ながら 私が20代の頃かな~
先生は お亡くなりになりました。
今、 態度の乱れた中学生とかを 
H先生に びしってしつけしてもらって
君が代も 指導 していただければいいなーと たまに思います。
多分 態度の乱れてる子たちって 
どういう風に きちんとした態度をとったらいいのかって
知らないと思うのですョ~。
H先生は なんかこう 本物っていうか。。
性根が入った 本当の厳しさを 知っている人だったなー、
と 今でも 思います。
優しさだけではなく こういう 厳しさもあり なんだなって 
当時 思いました。
小一のとき すばらしい先生に会えて幸せだったです~。
そうそう 大人しく可愛い ちょっと 障害があった男の子を
私の隣りの席にしてくれて
ゲゲちゃんは 明るくって元気いっぱいだから
この子の面倒を見てあげてね、
と言ってくれたので はりきって面倒を見てあげたのも
いい思い出です。
結局 その子は 勉強についていけないのが 
わかったらしく 引越していってしまいました。
先生は 私の性格をつかんで うまくよいしょしてくれたんだな
と 今 気付きました。。
先生 偉大だったにゃ~。

すてきなお姐さん

3月31日
昨日は 少々 違うほうに話が行ったので
今日は ちょっと もとに戻します
学生の時の 某ひばりのレストラン
キッチンに 深夜 お姐さん がバイトしてました
その人は、昼間は 会社で事務をして
夜は レストランでバイトしてたのです
結婚資金をためるためとか言ってたけど
多分 嘘です。見栄をはってただけです にゃははは。。
大型バイクに乗って 仕事に来てました
化粧っ気の 全くない顔で 髪を無造作に後ろに
一つ束ねて てきぱき仕事してました
高校生の男子から 親しみを込めて
みそじ 
と 呼ばれてました 29歳とか言ってたけど
30歳 だったみたいです にゃははh。。
とても 笑顔がすてきな人でした。
お化粧してないんだけど
顔全体で 人の話に ほんとに面白そうに
笑ってくれるのです
その人の笑顔を見るだけで
なんだか こちらまで楽しい気分になりました
高校生の つっぱり男子たちからも
とても 親しまれてました。
おばさん ピザ出して!おせーよ!
うるさい!がき!
今 だすから!待ってな!
あの お姐さんがいると キッチンが
なごやかで とても 楽しそうでした
私は その人の持つ雰囲気って とても
大切なんだなー、と そのお姐さんを見て
勉強になりました。
きれいに化粧するだけではだめなんだな、と
思いました。
多分 あのお姐さんは 何か目標、または 夢があって
バイトしてたんだと思います
昼間の仕事の後なのに、疲れた顔を見たことが
ありません。
いつも 元気いっぱいでした
勤務シフトを見て
おー、みそじ さんも 同じ時間だー と
思うと とても 嬉しかったのを覚えてます。
ほんとに 結婚資金貯めてたのかな~
8才 年上だー。52才くらいになってるはず~。
きっと 今も いきいき 夢に向かって頑張ってる気がします~
勤務シフト 見て
あー、こいつといっしょか。。。
って テンション下がるような人にはなりたくないな。。。
と思ったこともあったけど、
新人を鍛える立場になると
言いたくないことも言わなきゃいけないときもあったりして
なかなかね。。(独り言)

ふるさとの山々

3月22日
無事里帰りして お墓参りも行って参りました
父が言うには お彼岸の中日は
墓には亡くなった人はいないそうなので
父達は 墓参りしないと 教わったそうです
亡くなった人は 自分の家にいて
お墓は 空っぽなんだそうですよ~
まあでも、一応行って ごあいさつしてきました。
私は 車を運転して 本庄への往復がなぜ
気持ちがいいのか考えてみました。。
往復200キロなので 疲れるのですが
パワーをもらえることに気付きました
多分 それは 山々からだと思うのです
国道50号に入ると
みかも山 が 佐野に あります
そして 遠くには ずらりと 山々山・・・。
赤城山、妙義山、榛名富士、浅間山
遠くに男体山。。
あとは 名前も知らない山が遠くに
特に西と北に どおーっと 連なってます。。
一種のパワースポットですね!
昔 古墳を造る基準となった 風水 にのっとった
景色が展開してるのです。
本庄へ行く道の 途中には
パワーをもらえる!という スポットがいくつか
あります。
道路を走って そこの地点に着いて 丁度信号で
止まると とてもラッキーです
遠くに見える山をゆっくり眺めて
空を見上げ、空気のにおいをかいで
パワーを充填します。
古墳のあるところは やっぱり パワーがあって
良い場所に感じます
そして 子どもの笑い声が 合わさると
GOOD ! さらに言うコトなしです。
大地の力と 人間の笑いの力
これが混じると 元気があふれてきます~。
私が 思うに 群馬、北埼玉、栃木の群馬寄り
は 古墳に適した大地 に感じます。
なんか、遠くの山々、豊かな畑や田んぼ を
見てると 古代の人々が 子孫繁栄のために
古墳を沢山作ったのが わかるような気がします。
勝手に思ってます。。
佐野アウトレットそばの みかも山は すてきな山です。
昔から聖地らしくて 頂上には確かお寺さんがあります
父母が 私の子ども達が幼い頃 よく 連れて行ってくれて
公園もあるらしくて ソフトクリームを食べたと言ってました。
みかも山は 私が感じるに 東西を向いた山です
南北を向いてるというより 東西に向いて山の曲線を
描いてる気がします
東西に伸びてる国道50号に沿って いっしょに
そびえてる感じです
3年前、母の葬式の後、ぼうっと車を走らせてました
子ども二人は 疲れて車内で眠ってました
夕方、佐野に入り、みかも山が見えました
西の宇都宮をめざして みかも山のすそを
50号を走りました。
そうして走って みかも山の東側に抜けた後、
何気なく 左のみかも山の東側の側面を見ました
そこに
ものすごく 温かい空気があふれていたのを感じて
びっくりしてしまいました
夕方の 太陽のオレンジの光が
山の東側を照らしていて 極楽浄土の空気ではないか
と思われる 雰囲気が 神々しいまでに
山に周囲に 満ち溢れていたのです
なんだか みかもの山の神様が
ふわっと 私の気持ちを包んでくれた。。
そんな風に感じました。。
母は 肉体は死んだけど、この空気の中に
いるんだなーと 素直に思えて
涙がにじんできました
ゆっくり みかも山を見ながら 50号を走りました。
短い時間でしたが
神様が がんばれよ~ 元気だせよ~
と ずっと励ましてくれてる とても長い時間に
感じました。。
不思議な経験でしたね。。
今は みかも山の脇を通るとき ちょっと 自分の心の状態を
計る基準にしてます
みかも山の神々しさを感じられない時は
疲れて 心にゆとりがないな~
と反省してます。
昨日も通って 山の雰囲気と調和しなかったので
あ~~ 広い心になんなきゃ~
愛だよ、愛~
と 反省しました~~。。
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