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光明子 正倉院宝物

7月25日
光明子は 藤原氏の娘で 聖武天皇の后です
聖武天皇の母の宮子の妹です
大宝元年(701)-天平宝子4年6月7日(760年 7月27日)
正倉院に 聖武天皇の七十七忌に
御遺愛のお品を寄贈した方としても知られています
聖武天皇については まだ考察中です
701年-756年5月2日
在位 724年2月4日(3月7日)-749年7月2日(8月23日)
私は よく言われている 生来の弱い天皇ではなく
何か強い意志を持って あちこち遷都をした人物と思います
そういう風に 意見を述べられている歴史愛好家の方も多く
最近よくその意見を見かけて、
私もそうかも~と 思うようになりました。
正倉院宝物展 見にいけなくて残念でした
とてもすばらしいそうですね。
逆説の日本史② 古代怨霊編 井沢元彦氏
で 聖武天皇と光明皇后と東大寺建立について
書かれてありまして 目からうろこでした
東大寺は 長屋王一族鎮魂のための施設と
説かれていたのです
東大寺は 743年に 聖武天皇が詔をお出しになられて
国家安泰と 国民の幸福のために 造られました
 
夫妻の息子 基王(某 という説もあるそうです。 幼くして亡くなったので名前がない)
が早世しまして
これで 持統天皇の血をひく天皇家には 藤原系男子は1人しか生まれずに
しかも生まれても若くして亡くなってしまうという 恐怖が
2人の間にあったことが想像されます
国分寺・国分尼寺を各地に造るのだけでは 満足できずに
大元となる 立派な大仏を作らなくては というとになったようです
ずばり 怨霊のたたりを恐れて です
長屋王は 実力がある王族でしたが
(高市皇子の息子)
藤原氏出身で皇族でない 光明子の立后に 皇族代表として反対します
で 
どうやら 基王が早世するように呪った 
という無実の罪を藤原氏によってきせられ
一家自殺に追い込まれてます
玲子さんの霊視では 殺されてる?とも とれるそうです。。
で 
長屋王のお骨を流した土佐では 怪異がおき
長屋王を死に追いやった 政府高官の藤原4兄弟は 天然痘で
わずか4ヶ月間の間に全員亡くなり。。
後に 長屋王は 死後に名誉を回復されたのです
(正史には あまりはっきりふれてません)
藤原氏は このほかにも 聖武天皇の子どもで
側室の広刀自が生んだ 安積(あさか)親王(男子)を16歳で
死においやった痕跡も
なんとなく見え隠れしてます
持統天皇の時代の 大津皇子 高市皇子の死も
どうやら 藤原氏のしわざかもしれませんし。。
藤原4兄弟の死のときは
穏健派の 1人だけは(名前あとで調べます すみません)
命が助かるだろうと みな思っていたそうです
ところが その方も亡くなってしまったので
みな これは 長屋王のたたりだ それほどまでに怒っているんだ
と 恐怖におののいたのだそうです。。 
そして 東大寺建立と なりました
ところが いつまでたっても 夫妻の間に
跡継ぎの男子は 生まれませんでした。。
私は 聖武天皇のほうは 娘もいるし
自分も天皇家の血をひいていますし ご先祖の守りもあるだろうと
まあ 悩みはしたでしょうが 。。
あまり深く思いつめたりはしなかったのでは?
と 思います
むしろ やはり 恐怖におののいていたのは
后の 光明子だったと思うのです。。
自分の立后に際して
長屋王一族が 殺され
安積親王も殺され
そのたたりで 兄4人が次々死に。。
もう それは ほんとに。。 
次は自分が死ぬ番?? たたりで殺される??
っていう ものすごい恐怖だったのではないかと想像してしまうのです。。 
それで あの 聖女伝説なるものを 作らせて
世間に流したのではと 私は想像します。。
(これは もしかして 兄達が流したものかも知れませんが。。)
本来 天皇の妻となるべき 皇族の血をひく女子は
何かシャーマン的な力があったと 思うのです
ですから 古来 天皇の妻には 皇族の力のある女性が必ずなる!と
決められていたのでは ないかな~と 考えてます
ところが 藤原氏出身で なんのシャーマン的力もない光明子は 
言葉の力で 自分には仏の功徳による力があると
民衆に見せかけたのではと 思います
貧しい病人の垢を摺ったり 膿を口で吸う とかいう伝説です
そして 聖武天皇没後の
東大寺正倉院への 聖武天皇ご遺愛の品寄贈。。
(756年 6月21日)
過去につくられたお寺ですが 
天武天皇と持統天皇の夫妻の寺 薬師寺。。
夫妻の寺 という 意識付けによって
持統天皇の生んだ子どもの系統の正当性を世間に伝えたという
考えがあります。。
それと 同じように
東大寺を 聖武天皇と光明皇后のつくった寺と いうことを
民衆に意識付けさけて
光明皇后の生んだ子どもの正当性を世間に認めさせる作戦だったのでは?
と 思います。。
(。。残念ながら 次の代で 王朝は 天智天皇系にうつってしまいますが。。)
あと 私が この間 ふと ひっかかったのが
正倉院におさめた 聖武天皇ご遺愛の品。。
あれって もしかして 長屋王 ご遺愛の品も含まれてるんじゃないか。。
と 考えたりしました。。
でも 一応 長屋王は 罪人扱いでしたから
死後 屋敷に残された 高級な品の数々は
燃やされてしまったのでしょうか。。
もしくは 国によって没収ということで
どこかに保管されるのでしょうか。。
とりあえず 死に穢されている品の数々ですから
天皇の近くにはいかなかったのかな~とも思いますし。。
うーん。。。
もしかして 光明子は 長屋王のたたりを恐れて
正倉院に 長屋愛用の品をおさめて
さらなる鎮魂につとめたのでは?と 
思ったりもしました。。
私はそして 光明子ですが
この上もない力強さも感じます。。
晩年の 藤原仲麻呂(恵美押勝)にも 毅然と抵抗してたのでは~と
井沢氏の説を読んで 思ったりもしました
後日 述べたいと思います。。
幼少の頃は 天皇の后候補として お金持ちの藤原家で
何不自由なく 本当にお嬢様として
大事にのんびり育てられたのだと思います。。
でも 天皇家に嫁いだ自分の姉が 気がおかしくなり 鬱?に。。。
姉の生んだ甥の天皇に嫁いだ後 
最初は 兄たちの言うままに 深く考えずに
妻という立場を利用して 藤原の家のために 
夫の天皇に いろんなおねだりをしてたのでは~と 思います。。
でも そのうち 
自分の兄たちの数々の政治的陰謀に驚き 
ショックを受け
自分に流れる血の恐ろしさに おののいて
そこから 本当の人間としての生きる力みたいなものがでてきたのでは。。
と思います。。
そして 夫亡き後は 私がしっかりして
娘をささえて 皇室を守っていかなくては
と 目覚めたのではないかな~と 考えます。。
去年 光明子について ブログで書きたいな~
と思っていた時 ひとつの歌と出会いました
聞いた途端 鳥肌がたちました
これは 私の意志による鳥肌では ありません
誰かの気持ちを代弁してるという 鳥肌なのです
絢香さんの I believe です
聞いたとき即に
これは 光明子の気持ちだ!
と 思いました
レミオロメンさんの 粉雪を 聞いたとき
これは 大伯皇女の気持ちだ!
と思ったのと同じです
仏にすがって 生きていくしかない!生きるんだ!
私の選んだ道は 間違っていない!
という 切なる気持ちを感じます
♪ I believe myself 信じることで
  全てが始まる気がするの
  I beleive myself  あたたかい光は
  まちがっちゃいない 歩いていこう  ♪
生年月日を調べていたら 光明子って
今の暦で7月27日に亡くなっているのですね
今日25日と近いし。。びっくりしてます。。
おー 
今日は 亡き母の誕生日~。

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