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万葉集 ゲゲ訳 巻3-268

12月24日
    長屋王故郷歌一首
 
吾背子我 古屋乃里之 明日香庭 乳鳥鳴成 嶋待不得而
右今案、従明日香一、藤原宮之後作此謌歟。
 長屋王の故郷の歌一首
わが背子が古家の里の明日香には千鳥鳴くなり島待ちかねて
右は今案(かむが)むるに、明日香より藤原の宮に遷りし後にこの歌を作れるか。
中西 進氏訳
 
あなた(妻の父の草壁皇子)のもと住んでおられた家のある里の明日香では
千鳥が鳴いているようです。荒廃した庭園に山斎(しま)が再びできるのを待ちかねて。
長屋王は 天武天皇の皇子 高市皇子の皇子。
藤原宮時代 長屋王は11歳から26歳 
ゲゲ訳
背・・山背大兄王 聖徳太子の皇子 入鹿によって責められ自害したといわれている
我・・蘇我蝦夷、入鹿、石川麻呂、はかりごとによって殺された蘇我一族
古・・古人皇子 叛意がないことをみせるため山に隠れたが 結局自害した
乳・・蘇我一族に仕えた 乳の民。石川麻呂の娘に孝徳天皇妃、乳妃もいる
私の父、高市の皇子は藤原家に殺された。自然死ではない。
飛鳥では 山背大兄王、蘇我一族、古人皇子が 藤原家の陰謀で殺されている
再び、蘇我馬子殿の頃のように蘇我一族が栄えることを
乳の民はじめ 私、皆が待ち望んでいる。
(藤原家はほろびるがよい)
このうたは 一見 のどかに飛鳥の故郷をなつかしむ歌のようです
藤原宮にて 長屋王が 妻の父の草壁皇子の家、
飛鳥にあった嶋の宮を偲んで作ったようですが、
なんだか、あまりにも素直すぎて逆に??と思ってしまいました。
長屋王は 後年、天皇の皇子を呪ったという疑いで
藤原不比等の4人の息子に責められ自害しますが
後日、無実が判明するという、悲劇の王です。
父の高市皇子は 持統天皇の政治をサポートしている
栄華の絶頂期に亡くなっています。
私は この素朴の歌に何か 隠したのではないかと
思いました。
背、我、古 の字を見て
あらー 陰できっと、藤原家が糸引いて亡くなっ方たち、
しかも蘇我家の血を引く人ばかりと 思いました
天皇家の血の争いは 多くは 仕える家の人間たちが
天皇のきさきとして 自分の家の娘を嫁がせ、
皇子を産ませて 実権を握る歴史でもありました。
蘇我家直系が滅びたのは、蘇我家の横暴よりも
藤原家(中臣鎌足)がうまく 天皇と 蘇我の傍系を操って
蘇我家直系を滅ぼしたのではとも言われています。
藤原京では 藤原不比等がどんどんのし上がっていきました
藤原家にとって じゃまな存在が
高市皇子だったのは有名な話です
長屋はそんな空気を読み取っていたのではないでしょうか
そして、その気持ちを 妻の父の昔の家の歌に
かこつけて 藤原家が滅びればいいという歌を
作ったような気がします
草壁皇子の家の嶋の宮は その前の持ち主は蘇我馬子でした
馬子は 普通に自然死ですが、蝦夷、入鹿は責められて滅んでいます
蘇我家が滅びたので、家は草壁皇子に払い下げられたのです
草壁皇子の母の持統天皇の父は天智天皇ですが
母は 蘇我石川麻呂の娘 です
草壁皇子も蘇我の血を引いているのです。
嶋の宮 は蘇我家の血をひく者の象徴なのです
乳の民は 山背に仕えていた乳部(みぶ)の民として 書紀にも名が載っています
ですから、子々孫々 蘇我家の復興を願っているのではないかと考えました
草壁皇子は皇太子でしたが 天皇になる前に若死にしました
体が弱かったのでは と言われています。
長屋は草壁の死も本当に病死かどうか疑っていたのかもしれません
この歌を沓冠読みをするとこうなりました
わがせこが ふるやのさとの あすかには ちどりなくなり しままちかねて
わ    が ふ       の あ    は ち      り し       て
吾が     父の        嗚呼     散り       死て

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